wabioooのブログ

あまり有名になりたくないタイプの日記

嘘をつき続けると本当になる

いつだったかな、私の人生は結構な割合でエンターテイメントで構成されている。それは要は鵜呑みにして真似するという事だ、誰か尊敬する人の真似をするだとかミラーリングとかそんなレベルじゃない。心身共に溺れている。憧れから記憶に残りそして細胞に浸透する、その際浸透圧なんざ人間の意識の賜物フル無視だ。そしていつの日かそれが当たり前になり何を真似して、何に憧れていたかも忘れる。そうなれば完璧。完全に壁になるのだ、理性になって脳が無意識に自己と勘違いしよってアイデンティティとなる。

恐らく穴だらけのスケスケ理論な訳だけれども、最近それを痛感する。脳内理解を文面にぶちまけて、それを完成させようとしているとも見て取れる。さらさら言うつもりは無かったけれども、今日のこの文章も只の真似、キャラなのである。本家ならもっと面白く納得させられる言い回しを使ってユーモア溢れる文章になりそうだか、やはり私はニセモノである。本物ととても本物に近い偽物のどちらに価値があるという話も耳にした。勘違いを訂正しないのも嘘をついていると同じと聞いた、もう訳がわからん。



私事、今日は九時にバイト先に集合して新年早々勉強会をした。

正直午前の話は只の確認事項が多かったけれど、共通認識というものの大切さも学んだ。

本題というか今日のキモは午後の部だ。大本命様の社長登場、空気一変


話の総括というか、アウトプットというか

前振りとして、小さなニッチに漬け込むなら都市人工が最低七万という話を聞いた。なににも使える訳じゃないが飲食の話しだ。


コンセプトが万人受けしないお店は普通に考えれば頭数の多いところに勝負を賭ける。普通だ、至極単純十人十色だこの一言で収まる。今や人が物が食べ物が溢れかえっている現代。万人受けというものはほぼ出尽くしてる気もする、そう飲食で言えばチェーン展開している店である。

そういうものとの差別化で使うモノとは人の承認欲求である。認められたい分かって貰いたい、人に覚えてて貰いたい、憶えて欲しいである。

語弊を産まないためにも言うが、悪口ではない、というより事実だ。

チェーンのような決まり切ったテンプレートは今やとても高い水準に達している、入った者に教育を施すそして型にはめる。言わば量産型、例外も多く存在するが勤勉で普通な人間はその型になんの違和感もなくはまる。なぜなら、普段受けていてみていて体験しているから納得してはまれる。大抵の場合チェーンと同じ土俵で戦おうなんざ無理な話、知名度安定性安心感が比にならない。餃子を食べれる店と聞かれれば殆どの人が王将というだろう。これは普通だ。

前提として、何故人はお酒やご飯をお店に食べに来るのだろうか。最近のコンビニご飯も無視できない、むしろ美味しい。値段や場所を比べると俄然コンビニの方が安いし安定しているし、何処にでもある。言ってしまえば駅の中にだってある。コンビニでビールを買って好きなツマミを買う、千円でお釣りが来る。更に更にそのまま寝れる。いい事しかないじゃないか!だか何故お店に来てくれる。一杯二百円前後の缶ビールと一杯五百円前後のグラスビール。おまけに最近のチェーンは安いし早いし上手い三拍子揃ってる。だがチェーンは決まった接客をしてご飯や飲み物を出して終了。しかし、個人店やチェーンではない店はチェーンほど安くはならないし、もしかしたら美味しくないかもしれない。最近美味しくない店はそうそう無いけど。差は歴然。

間違いなくチェーンに負ける、だからこそチェーンと差を付けるには人だ。店員から始まる、そうホールスタッフだ。料理を食べる場ではなく、サービスを提供しリラックスして貰える場を作るべきなのではないだろうか。人一人にスポットを当てて、その人の為になにか出来る事はないだろうか、テーブルから目線を上げる。お客さんの顔をみて、取り敢えず持てる力を全力で駆使するべきではないだろうか。その人達はどういう経緯で来店されたかは分からない、だかそこでアクションを起こすか起こさないか、声を掛けるか掛けないか。所詮失敗はしても店を出れば忘れる、なんせ人は会って六秒の印象に支配されるからだ。有名人が躓いて転んでも十五秒程度の話にしかならない。そう、その程度なのだ有名人ですら。

だから、臆せず笑顔で威勢のいい声を掛けてほしい。相手の反応をみて臨機応変に空気を読む。今の人で出来ない人もいる、読めるか読めないかの差は失敗はするかしないか、やるかやらないか。

正直自分の中のテンプレートを一つ用意して、それを磨き上げ派生させると必ず余裕が出てくるものである。その余裕こそ相手を思いやる気持ちに繋がるのではないだろうか